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子どもブログ

京都で教育を学ぶ大学生が子どもや教育に関することを中心に書きます

「なんのために生まれてきたのか」に対する答え

自分は何のために生まれてきたのか。

昔から多くの人が向かい合ってきた問い。

 

その答えの拠り所として宗教があった。

しかしダーウィニズム等の科学によって、その神話が揺さぶられる。

大きな物語」が終わり、ニーチェは「神は死んだ」と言った。

 

「何のために生まれてきたのか」という問いに対して、

「生まれてきたことに意味はない」というニヒリズム

 

そのニヒリズムにポジティブな意味をつけたのが、実存主義

サルトルの有名な言葉「実存は本質に先立つ」。

 

「何かのために生まれてきた」のではなく、「生まれたから何かのために生きるんだ」というニヒリズムの克服への決意。

 

人間は自ら、「自分はなんのために生きるのか」(=本質)を創造していくことができる、能動的・主体的・投企的な存在である。

 

しかし、ここで「生まれた」という事実に立ち返ると、「生まれる」とは自ら選んだわけはない、自分ではない「誰か」が主体である、絶対的に受動的な営為だということに気づく。

さらに人間は「生理的早産」(ポルトマン)を特徴とし、無力な状態で生まれ、周りからの手助けを必要とする。

 

ここに自分が存在するという事実には必ず「誰か」(=親、他の保護者・保育者・教育者)の存在があったことがわかる。

 

加えて、その「誰か」も能動的・主体的・投企的な存在であるはずだが、

彼・彼女は、関わらないという選択肢もある中で、あえて「生む」「育てる」という選択・決断をし、自分を育ててきた。

 

これは歴史から自分だけでなく、多くの人々が「生み」「育て」、それにより多くの人々が「生まれ」「育てられて」きたことがわかる。

 

ここに合理性はなく、「生む」「育てる」ことを選ぶということはある意味で「非合理な決断」であるが、多くの人々は選んできた。

これこそが人間の本性と言えるのではないか。

 

教育人間学者ランゲフェルトは、「人間は教育されねばならぬ動物である」というテーゼを述べる。

このテーゼは文字通り、「無力であるがゆえに周りからの助け・教育(=おとなとのかかわり)を必要とする」子どもの本質を表すテーゼであるとともに、

「教育を必要とする子どもの存在に出会い、あえて教育するという決断をする」おとなの本質を表すテーゼでもある。

 

人はなんのために生まれるのか。

その問いに対する答えは「ない。自ら創り出していくものだ」。

ただ、一つ言うとするならば「子ども(次の世代)を愛し、育てること」かもしれない。

2016年読んだ本

2016年の読書メーター
読んだ本の数:79冊
読んだページ数:22696ページ
ナイス数:0ナイス

幼児教育へのいざない 増補改訂版: 円熟した保育者になるために幼児教育へのいざない 増補改訂版: 円熟した保育者になるために
読了日:12月30日 著者:佐伯胖
シェーラー著作集〈8〉同情の本質と諸形式 (1977年)シェーラー著作集〈8〉同情の本質と諸形式 (1977年)
読了日:12月29日 著者:
シェーラー著作集〈13〉宇宙における人間の地位.哲学的世界観 (1977年)シェーラー著作集〈13〉宇宙における人間の地位.哲学的世界観 (1977年)
読了日:12月29日 著者:
人間形成原論―遺稿 (教育名著選集 (4))人間形成原論―遺稿 (教育名著選集 (4))
読了日:12月29日 著者:森昭
教育学的人間学の諸相―その多様性と統一性教育学的人間学の諸相―その多様性と統一性
読了日:12月29日 著者:氏家重信
「保育プロセスの質」評価スケール──乳幼児期の「ともに考え、深めつづけること」と「情緒的な安定・安心」を捉えるために「保育プロセスの質」評価スケール──乳幼児期の「ともに考え、深めつづけること」と「情緒的な安定・安心」を捉えるために
読了日:12月29日 著者:イラム・シラージ,デニス・キングストン,エドワード・メルウィッシュ
子どもの人間学子どもの人間学
読了日:12月29日 著者:小島新平
教職実践演習ワークブック―ポートフォリオで教師力アップ教職実践演習ワークブック―ポートフォリオで教師力アップ
読了日:12月29日 著者:西岡加名恵,川地亜弥子,北原琢也,石井英真
触発する言葉――言語・権力・行為体 (岩波人文書セレクション)触発する言葉――言語・権力・行為体 (岩波人文書セレクション)
読了日:12月29日 著者:ジュディス・バトラー
Running Lean ―実践リーンスタートアップ (THE LEAN SERIES)Running Lean ―実践リーンスタートアップ (THE LEAN SERIES)
読了日:12月29日 著者:アッシュ・マウリャ
ケアリング―倫理と道徳の教育 女性の観点からケアリング―倫理と道徳の教育 女性の観点から
読了日:12月29日 著者:ネルノディングズ
生物から見た世界 (岩波文庫)生物から見た世界 (岩波文庫)
読了日:12月28日 著者:ユクスキュル,クリサート
意味が躍動する生とは何か―遊ぶ子どもの人間学意味が躍動する生とは何か―遊ぶ子どもの人間学
読了日:12月24日 著者:矢野智司
教育の理論と現実―教育科学の位置と反省教育の理論と現実―教育科学の位置と反省
読了日:12月19日 著者:マルティヌス・ヤン・ランゲフェルド
教育の人間学的考察 【増補改訂版】教育の人間学的考察 【増補改訂版】
読了日:12月19日 著者:マルティヌス・ランゲフェルト
よるべなき両親―教育と人間の尊厳を求めてよるべなき両親―教育と人間の尊厳を求めて
読了日:12月19日 著者:マルティヌス・ヤン・ランゲフェルド,和田修二
人間の生涯と教育の課題―新自然主義の教育学試論人間の生涯と教育の課題―新自然主義の教育学試論
読了日:12月19日 著者:和田修二,山崎高哉
日本の教育人間学日本の教育人間学
読了日:12月19日 著者:
子どもを「人間としてみる」ということ: 子どもとともにある保育の原点子どもを「人間としてみる」ということ: 子どもとともにある保育の原点
読了日:12月19日 著者:佐伯胖,大豆生田啓友,渡辺英則,三谷大紀,髙嶋景子,汐見稔幸
人間はどこまで動物か――新しい人間像のために (岩波新書)人間はどこまで動物か――新しい人間像のために (岩波新書)
読了日:11月30日 著者:アドルフ・ポルトマン
国をつくるという仕事国をつくるという仕事
読了日:11月19日 著者:西水美恵子
いま世界の哲学者が考えていることいま世界の哲学者が考えていること
読了日:11月17日 著者:岡本裕一朗
教育×破壊的イノベーション~教育現場を抜本的に変革する教育×破壊的イノベーション~教育現場を抜本的に変革する
読了日:11月1日 著者:クレイトン・クリステンセン,マイケル・ホーン,カーティス・ジョンソン
子育て支援が日本を救う (政策効果の統計分析)子育て支援が日本を救う (政策効果の統計分析)
読了日:10月28日 著者:柴田悠
人間の条件 (ちくま学芸文庫)人間の条件 (ちくま学芸文庫)
読了日:10月7日 著者:ハンナアレント
「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)
読了日:10月7日 著者:鷲田清一
人間形成論の視野人間形成論の視野
読了日:10月7日 著者:
アタッチメント―生涯にわたる絆アタッチメント―生涯にわたる絆
読了日:10月7日 著者:数井みゆき,遠藤利彦
保育のいとなみ: 子ども理解と内容・方法 (保育学講座)保育のいとなみ: 子ども理解と内容・方法 (保育学講座)
読了日:10月7日 著者:
保育学とは: 問いと成り立ち保育学とは: 問いと成り立ち
読了日:10月7日 著者:
公共哲学 政治における道徳を考える (ちくま学芸文庫)公共哲学 政治における道徳を考える (ちくま学芸文庫)
読了日:10月3日 著者:マイケル・サンデル
ひまわりのころ ~舞鳥ロックスひまわりのころ ~舞鳥ロックス
読了日:9月24日 著者:田村和幸
おさなごころを科学する: 進化する幼児観おさなごころを科学する: 進化する幼児観
読了日:9月20日 著者:森口佑介
応答する教育哲学応答する教育哲学
読了日:8月25日 著者:
人を動かす 新装版人を動かす 新装版
読了日:8月14日 著者:デールカーネギー,DaleCarnegie,山口博
現象学入門 (NHKブックス)現象学入門 (NHKブックス)
読了日:8月14日 著者:竹田青嗣
クリエイティブ・マインドセット 想像力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法クリエイティブ・マインドセット 想像力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法
読了日:7月28日 著者:デイヴィッド・ケリー,トム・ケリー
教育と人間の省察〈続〉―M.J.ランゲフェルド講演集 (1976年)教育と人間の省察〈続〉―M.J.ランゲフェルド講演集 (1976年)
読了日:7月19日 著者:M.J.ランゲフェルド
教育と人間の省察―M.J.ランゲフェルド講演集教育と人間の省察―M.J.ランゲフェルド講演集
読了日:7月19日 著者:マルティヌス・ヤン・ランゲフェルド,岡田渥美
増補改訂新版 認定こども園の時代増補改訂新版 認定こども園の時代
読了日:7月19日 著者:無藤隆,北野幸子,矢藤誠慈郎
コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書)コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書)
読了日:7月14日 著者:山崎亮
意味への教育―学的方法論と人間学的基礎意味への教育―学的方法論と人間学的基礎
読了日:7月13日 著者:マルティヌス・ヤンランゲフェルト,ヘルムートダンナー
教育人間学: 臨床と超越教育人間学: 臨床と超越
読了日:7月12日 著者:レマルク
理論的教育学〈上〉 (1971年)理論的教育学〈上〉 (1971年)
読了日:7月7日 著者:M.J.ランゲフェルド
子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)
読了日:7月6日 著者:阿部彩
教育を支えるもの教育を支えるもの
読了日:6月30日 著者:オットー・フリトリッヒボルノウ
こころ動かす経済学こころ動かす経済学
読了日:6月25日 著者:
教育学大全集 22 子どもの人間学教育学大全集 22 子どもの人間学
読了日:6月23日 著者:和田修二
正義論の名著 (ちくま新書)正義論の名著 (ちくま新書)
読了日:6月17日 著者:中山元
ランゲフェルト教育学との対話 ―「子どもの人間学」への応答-ランゲフェルト教育学との対話 ―「子どもの人間学」への応答-
読了日:6月16日 著者:
よい教育とはなにか: 倫理・政治・民主主義よい教育とはなにか: 倫理・政治・民主主義
読了日:6月16日 著者:ガートビースタ
一流の育て方―――ビジネスでも勉強でもズバ抜けて活躍できる子を育てる一流の育て方―――ビジネスでも勉強でもズバ抜けて活躍できる子を育てる
読了日:5月31日 著者:ミセス・パンプキン,ムーギー・キム
あらゆる学問は保育につながる: 発達保育実践政策学の挑戦あらゆる学問は保育につながる: 発達保育実践政策学の挑戦
読了日:5月29日 著者:
子育てコーチングの教科書子育てコーチングの教科書
読了日:5月6日 著者:あべまさい
本を読む人だけが手にするもの本を読む人だけが手にするもの
読了日:5月6日 著者:藤原和博
ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則
読了日:5月6日 著者:ジム・コリンズ,ジェリー・I.ポラス
いつかリーダーになる君たちへいつかリーダーになる君たちへ
読了日:5月4日 著者:安部敏樹
ケアリングの現在―倫理・教育・看護・福祉の境界を越えてケアリングの現在―倫理・教育・看護・福祉の境界を越えて
読了日:4月28日 著者:中野啓明,立山善康,伊藤博美
教員採用試験 教職教養テキストブック(2017年度版) (コンプリートシリーズ)教員採用試験 教職教養テキストブック(2017年度版) (コンプリートシリーズ)
読了日:4月26日 著者:山口和孝
ケアと人間: 心理・教育・宗教 (講座ケア―新たな人間‐社会像に向けて)ケアと人間: 心理・教育・宗教 (講座ケア―新たな人間‐社会像に向けて)
読了日:4月26日 著者:西平直
論語と算盤 (角川ソフィア文庫)論語と算盤 (角川ソフィア文庫)
読了日:4月22日 著者:渋沢栄一
ナラティヴとしての保育学―幼児教育知の探究 1 (幼児教育 知の探究)ナラティヴとしての保育学―幼児教育知の探究 1 (幼児教育 知の探究)
読了日:4月1日 著者:磯部裕子,山内紀幸
日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書)日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書)
読了日:3月30日 著者:広田照幸
0~6歳の「伸びる! 」環境づくり  おうちでできるモンテッソーリの子育て (クーヨンの本)0~6歳の「伸びる! 」環境づくり おうちでできるモンテッソーリの子育て (クーヨンの本)
読了日:3月26日 著者:
僕は君たちに武器を配りたい僕は君たちに武器を配りたい
読了日:3月3日 著者:瀧本哲史
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
読了日:3月3日 著者:松尾豊
学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
読了日:2月22日 著者:福澤諭吉
幸福感を紡ぐ人間関係と教育幸福感を紡ぐ人間関係と教育
読了日:2月22日 著者:
星の王子さま学星の王子さま学
読了日:2月7日 著者:片木智年
「星の王子さま」を哲学する「星の王子さま」を哲学する
読了日:2月7日 著者:甲田純生
増補 教育の世紀: 大衆教育社会の源流 (ちくま学芸文庫)増補 教育の世紀: 大衆教育社会の源流 (ちくま学芸文庫)
読了日:1月28日 著者:苅谷剛彦
カントの人間学カントの人間学
読了日:1月28日 著者:ミシェルフーコー
リベラリズムの教育哲学―多様性と選択リベラリズムの教育哲学―多様性と選択
読了日:1月28日 著者:宮寺晃夫
「甘え」と「自律」の教育学―ケア・道徳・関係性「甘え」と「自律」の教育学―ケア・道徳・関係性
読了日:1月28日 著者:
教育の哲学―ソクラテスから“ケアリング”まで (SEKAISHISO SEMINAR)教育の哲学―ソクラテスから“ケアリング”まで (SEKAISHISO SEMINAR)
読了日:1月11日 著者:ネルノディングス
子どもと哲学を: 問いから希望へ子どもと哲学を: 問いから希望へ
読了日:1月10日 著者:森田伸子
罪と罰〈上〉 (新潮文庫)罪と罰〈上〉 (新潮文庫)
読了日:1月10日 著者:ドストエフスキー
エミール〈下〉 (岩波文庫青 622-3 )エミール〈下〉 (岩波文庫青 622-3 )
読了日:1月6日 著者:ルソー
教育の歴史と思想教育の歴史と思想
読了日:1月6日 著者:石村華代,軽部勝一郎

読書メーター

「流行」について

卒論の合間に何か書く。

卒論は、芭蕉の言う「不易流行」で言うならば、「不易」の部分、つまり22世紀まで生きる子どもたちの保育・幼児教育を考えるにあたって、100年後も変わらないものってなんだろうな?という問いのもと、「子どもの人間学」を研究しているわけです。

 

今回は少し「流行」の部分を考えてみたい。

 

①教育の「流行」

昨今の教育のトピックは?と言われると、次期学習指導要領やそれに関する教育改革をあげるひとが多いように思われる。

 

さらに「大学入試改革」や「AL(アクティブラーニング)」という言葉が盛んにメディア等に取り上げられることで、どうしても初等教育中等教育に目が行きがちである。

 

しかし幼稚園教育要領ならびに保育所保育指針、認定こども園保育・教育要領も改正される予定で、保育・幼児教育にとっても大きなできごとである。

 

これに関しては、

無藤先生のFacebookでの発信は非常に参考になる。

幼児教育の現状と今後

 

また現在乳幼児期の子どもたちが大学入試を受けるのは2030年前後で、次期学習指導要領の次の学習指導要領も見据えていかなければならない。

その点で、日本の学習指導要領策定にも大きな影響を与えているOECDのEducation 2030も参考になる。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/053/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/08/04/1360597_6_1.pdf

 

②世界の「流行」

教育を考えるにあたって、それに影響を与える世界・社会の動向は何か?と言われると、「AI」「IoT」等のITに関する回答がよく聞かれる。

もちろん大事なのだが、労働代替等、産業と密接な関係にあるがゆえに大きくメディア等に取り上げられているのだろう。

しかしそれと同じくらい重要な動向は多々ある。

テクノロジーに関するものであれば、ITと同様にBT(バイオテクノロジー)の発展も見過ごせない。

教育哲学の観点からすると、「自分で選んだわけではないのに生まれてきて、さらに生まれ落ちた瞬間にいつか死ぬことを決められている」という「有限な存在」としての人間理解を転回させる可能性がある。

この「いつまでも死なない(死ねない)人間」は教育の在り方に大きな影響を与えるだろう。

 

テクノロジーから離れても、政治(民主主義)の問題や、経済(資本主義)、文化(宗教・民族)とこれからの数十年にかけて教育の在り方に影響をあてるものは多々ある。

AI、IoTだけでなく、これらの動向にも目を向ける必要がある。

これに関して、G.ビースタの著作は示唆を与えてくれる。

 

保育・幼児教育の評価。効果と満足感。

幼児教育・保育の評価について。

前記事でも書いた通り、幼児教育や保育の評価は、
①「いつの時点で測るのか」:例えば小学校入学時に効果が現れていなくてものちのちに現れてくる要素もある(非認知能力など)。
②「何を指標として測るのか」:学校段階では(様々な議論もありますが)テストの成績など測る指標がありますが、就学前の段階では指標がない。
などの理由でよい保育・よい幼児教育とは何なのかがわかりづらいと言えます。

このことが保育者・教育者の価値の向上につながらないことの要因になっています。

ここで幼児教育・保育の評価について、その効果が測りづらいこともあり、子ども・保護者の満足感・納得感が重要になってくる側面があります。

さらに核家族の増加などで子育ての負担増・責任増が言われているなかで、親がいかに「自分はよい子育てをできている。よい教育・保育環境を子どもに提供できている」と思えていることは重要な側面です。
そのためにも子どもが楽しいといっていることも大きな点です。

昨今、巷で流行っている、保育・幼児教育も効果があるかが疑わしいものもありますが、保護者の満足感が高いので流行っていると言えます。
一概にそれが悪いことだとは言えず、効果測定が難しいからこそそのような面も大切にする必要があると思います。

保育の場面での、連絡帳や生での保護者ー保育士のコミュニケーションも、子どものためになる、役に立つという点も大事ですが、保護者が子どもの成長や様子を知り満足感・納得感をもたせることが重要だと言えます。

これからの保育・幼児教育では学術的・科学的根拠を持ちながらのちのちに役に立つ・意味のあるものであることと同時に、効果のいかんに関わらずそのときに子どもや保護者がどう感じるのかが重要になってきます。
そのどちらかではなく、両側面をもつ保育・幼児教育がよいとされるものだと思います。

保育園が抱える問題。なぜ待機児童は解決されないのか。

昨今話題の保育園の問題について

話題になっている背景を簡単に述べると、少子化による保育ニーズの減少の割合より、女性の社会進出などによる保育ニーズの増加の割合が高まっており、少子化なのに保育園が足りないという事態が起きています。

その問題は以前から言われていますが、いまだに解決できていない理由をいくつかまとめていきます。
(もちろん地域や運営主体によって変わりますが一般的な例として書きます。)


1.そもそも保育園という事業は儲からない。

保育園が増えないとして市場原理が働かないことがあげられます。
保育園の支出は労働集約型なのでおよそ人件費と物件費がほとんどをしめます。そして収入は園児からの保育料+国・自治体からの補助金です。

当たり前に収入>支出だと儲かるのですが、保育料は認可園の場合、自治体によって決められていて園の裁量で変えられません。またその保育料も福祉的な側面があるので、つまりそもそも経済的にしんどいから親が働かねばならず子どもを預けているという前提があるので、自治体も保育料をあげることができません。
つまり収入は基本的に国・自治体に依存しています。

保育料は在園児の人数によって変動するので、地方の過疎地域の園では人気のある園の方が収入が豊かになりますが、都市部の待機児童が発生している地域では認可園だとほとんど質に関わらず定員数=園児数になります。
保育園に関わらない、若い世代や幼稚園に通わせる方は知らないことが多いのですが、認可保育園は保護者が自治体に第一希望、第二希望...といったように希望を提出し、自治体が保護者の収入などの状況を見ながら振り分けるという形式です。
つまり都市部では結局希望度が低くてもそこに回されるので、保育園の質があまり関係ありません。

保育士の待遇の問題があげられているの原因はまさにここで、収入が一定なので儲けを出すためには人件費を削るしかなく、低賃金になっているというのが現状です。


2.保育士は自分の価値を高めていくのが難しい。

それではなぜ人件費を削られてしまうのか。それは保育士の能力・価値を評価する指標、評価を待遇につなげていく仕組みがないからです。

例えば進学校の先生や有名塾の講師などはそれがあります。「授業が上手い先生」というのは生徒からの評判や進学実績などで評価されます。さらにそれが昇進にもつながっていきます。

保育士の場合、子どもは乳幼児期なので先生がよいか悪いか評価できないですし、子どもによい保育をしたかどうかも長い期間で評価をしなければならず外部の変数もたくさんあるのでわかりません。
つまり、保育が上手い先生と下手な先生の違いが測れないということです。

幼児教育・保育の評価というのは教育学・保育学でもずっと考えられ、効果測定の難しさを打開できずにいます。

そのため昇進というものもあまりなく、ずっと安い賃金のままであるということがあげられます。


3.潜在的なニーズが大きい。

上記のような難しさを乗り越えて保育士を増やし、保育園を増やしたとしても待機児童が解決できない理由として、潜在的なニーズが大きく、どんどん顕在化してくることがあります。

つまり、「申し込んで認可園に入れない(=待機児童)」の十倍近く「預けたいけどどうせ無理だから申し込んでいない(=潜在待機児童)」がいて、待機児童が解決されればされるほど「私もあずけたい」という人が出てくるということです。

そのため待機児童の問題は現状おわりなく続きます。


4.当事者期間が短い。

これは保護者からの視点になりますが、当事者として保育に接する期間が短いことがあげられます。

現在、保育に関する問題について実際の保護者の方々が運動を起こしていますが、それが個人にとって一過性のものになってしまうことが保育の問題の特徴です。

自分に子どもができて「保育園に入れない。困る」と思って運動を起こしてもせいぜい3年から5年で当事者ではなくなってしまいます。
他の社会問題(介護・防災など)は長期間・無期間に渡って重要になることが多いのですが、保育の問題は当事者が速いサイクルで変わってしまうので、運動の主体が続かないことが多いです。



5.今作りすぎてもだめ

最後に、保育園が足りないのに増えない理由として、今つくりすぎてもだめということがあります。

冒頭述べた通り、現在は少子化による保育ニーズの減少割合<女性の社会進出による保育ニーズの増加割合が大きいので保育園が足りないのですが、近い将来前者が上回り保育園があまり、子どもを奪い合うことが予想され、事業者は安易にハコを増やすだけではだめということです。



以上の5点は理由の一部にしか過ぎませんが、これだけでも保育の問題がいかに難しいかがわかります。
個人的にはハード(ハコ)や補助金で解決するのは持続可能性がないので、ソフトの面、つまり保育の内容、仕組み、保育士の価値にカギがあるのではと思っています。





教育はだれのためのものか? 「子どものため」か「国のため」か

教育の目的について。
 
教育の目的とは何か?教育はだれのためのもの?
と、聞かれると「子どものため」だと多くの人が答えると思います。
 
教育の目的について、教育という社会機能の起源を考えると「種の保存」があげられます。
狩猟採集の時代には、無力の状態で生まれてくる子どもを守り、一人で狩猟採集ができるように技術を伝達することが種の保存につながっていました。そのことが「社会・共同体の維持・発展」につながります。
さらにその「教育」によって人それぞれが長く、良く生きることができ、「個人の幸せ」にもつながっていました。
 
近代ではどうでしょうか?
近代学校(貴族だけ、宗教者だけ、エリートだけでなく、すべての子どもが通う学校)の成立の理由、目的は産業革命によって必要となった工業労働者の育成や戦争ための強く規律的な兵士の育成であると言えます。つまり「社会・共同体の維持・発展」です。
捉え方によりますが、ある人はこの教育によって今まで就けなかった仕事に就くことができた(=「個人の幸せ」)かもしれませんが、イギリスの産業革命時の労働問題や戦死などに象徴されるようにその教育によって不幸になった人もいるはずです。
 
現代でもこの教育とは「社会・共同体の維持・発展(国のため)」のためか、「個人の幸せ(子どものため)」のためかという問いには様々な議論があります。
もちろん両方で、「個人が幸せ」なら「それは社会・共同体としても望ましい」し、「共同体が発展している」と「個人も幸せ」である、と。
 
ただどちらかに重きが置いてあることが多いですが、教育をめぐる議論いわゆる教育問題はこの視点がごちゃまぜになっていると感じます。
 
例えば
最近ではグローバル教育とICT教育が盛んですが、それはなんのためか。
「個人の幸せ」観点だと、「これからの時代、英語ができること、ICTのリテラシーがあることが幸せにつながる」という見方、
「社会・共同体の維持・発展」観点だと、「日本ではグローバル人材、ICT人材が足りていない。日本の国際競争力の維持、強化には必要だ」という見方があります。
 
以前、ブログでも書いた通り、私は両方が大切だと踏まえた上で「個人の幸せ」に少し重きを置いています。
そういう私から見ると昨今の教育議論が「社会・共同体の維持・発展」に偏りすぎていないのか心配です。
グローバル教育、ICT教育はまだしも、リーダーシップやイノベーターの養成も公教育が担うべきだという論調もありますが、すべての子どもに必要かは疑問です。
「教育開発可能性を広げること」が善とされている(つまり子どもの選択肢を広げるためにやれることは全部やっとけ)昨今ですが、例えばグローバル人材になる可能性を担保するために、グローバル人材になる可能性よりも日常で必要になる可能性がはるかに高い読み書き計算がなおざりになるのは大変危険だと思います。
 
さらに子どもを持つ多くの保護者は子どもの「個人の幸せ」に重きを置いていて、民意とトップ層がずれていってしまっている印象です。
確かに自分の子どもがグローバル人材、イノベーターになってくれるなら嬉しいと思いますが、その前に最低限の人格と知性をもって、幸せに暮らしてほしいと願っている人が多数だと思います。
 
教育の議論をする際にはこの観点を押さえることも時には必要だと思います。

保育とは何か? 私は「教育」のプロではなく「子ども」スペシャリストになりたい

前記事に続いてこの記事でも私の基本的な子ども観について書いていきます。
 
よく「あなたは『教育』に興味ある人なんだね」と言われますが、自分としてはそれは合ってるけどどこか正確でなく、「『子ども』に興味あります。」と答えています。
 
そう答える理由は、「教育」という営みが「子ども・人が生きる」という営みのある側面でしかないと考えているからです。
 
前記事にも言及した通り、自分の大切にしていることとして「子ども達にきらぽか感を感じてもらうこと」があるのですが、教育はきらきら感を表しているものと考えます。
 
「そもそも教育とは何か?」(これについてはまた詳しくは別記事で書きます。)を考えてみます。
辞書によると「ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること」(大辞泉)とあります。
また我が国の教育基本法第一条(教育の目的)には「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とあり、
教育とは被教育者(子ども)が「なるべき姿になる」ことを目指しており、「『今』を未来の成長のため」に使い、絶えず「『今』とは違う、『今』より良いを求めること」であり、「『行為』の変化」を求めることだと言えます。
この
教育
―なるべき姿になる
―『今』を『未来』の成長のため
―『今』とは違う、『今』より良いを求めること
―『行為』の変化
―(きらきら感)
に対応させてもう一つの側面を考えてみると、
養護
―あるがままである
―『今』を生きる
―『今』を受け入れ、楽しみ、安心する
―『存在』の受容
―(ぽかぽか感)
が考えられます。
 
その点で、私は教育と養護の両側面を持つ「保育」に魅力を感じています。教育と養護は社会制度で言うと教育と福祉と考えてもいいかもしれません。
保育所保育指針(学校教育でいう学習指導要領にあたるもの)で、保育の目的について「子どもが現在を最も良く生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培うため」とあり、未来志向だけでなく現在にも目が向けられていることはとても示唆的であると思います。
 
個人的な想いとして、子どもの生について教育の側面にばかり目がいっている気がします。
この教育と養護(福祉)の両側面は乳幼児期だけでなく児童期・思春期・青年期、さらには成人したあともずっと大切な考え方だと思います。
昨今、教育問題とされている、いじめ・不登校の問題も教育的な面だけでなく養護的な面でも考えてみるとまた違った見え方があると思います。
 
その点で、園や学校の役割として、「子どもが成長する場としての園・学校」だけでなく、「子どものあるがままを受け入れる場・居場所としての園・学校」の面も必要だと思います。
 
またこの教育と養護(きらきら感とぽかぽか感)の関係は相補的(例:ぽかぽか⇒テストがだめだったときに家族にありのままを受け入れてもらえることで元気が出る。きらきら⇒逆にありのままを受け入れてくれていた恋人にふられたが仕事がんばって自信がもてる)なのですが、
発達的な考えだと生まれてから最初は必ず養護(ぽかぽか)だと決まっています。前記事でも紹介したエリクソンの「基本的信頼」のように、自分のあるがままが受け入れられることで初めて今と違う自分を目指すことができるとされています。
なので、子どもに「勉強しなさい」と成長を求める前に、あるがままの存在を受容して応援してほしいと思います。
 
<参考>
山竹伸二『子育ての哲学』ちくま新書、2014年
矢野智司『自己変容という物語―生成・贈与・教育』金子書房、2000年